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今日のオルキデ日記

子育てBiginner's Diary

2000/2/14〜2/23
 

99/8/19〜2000/2/13

97/11/25〜99/2/26

pukpukスペシャル

back number

バートバカラッチュのらいぶ

お歳暮について

マタニティウエアについて

 

今日は冬至でした

メリ〜クリスマス!!

明けましておめでとうございます
 

キムチの似合うイイ男

CM再び

ドラッグジャンキー
 

MacWorldEXPO'98

orukideの謎

ベンジャミン伊東について
 

ヨゾラノムコウ

今解き明かされるオルキデの謎

道を尋ねる相手
 

中学の時の先生

わたしの先生

妊婦になってわかったこと
 

親子のオアシス、それは百貨店

99/2/24

カラオケについて

orukide diary

99/2/26 「カラオケについて」

みなさまこんばんは、おるきでです。

以前日記で書いたかもしれないのですが、わたしはふとんをたたいて同じマンションの住人にガラッ「フトンタタカナイデクダサイッ!!」ピシャッっとどなられ、ブルーになったことがあります。しばらくたって、またたたいてみたら、今度は「うるさいっ!!」と叫ばれました。

サテ、みなさまたいていカラオケしたことございますよね。われわれ夫婦はたまたま二人ともカラオケは苦手なのですが、わたしのほうは一時期ストレス発散に何回か積極的にうたいにいったことがあります。あと、会社のつきあいですね。これはすでに興味が失せていたときだったので苦痛でしたが。

家庭でカラオケもできるなんてコマーシャルもみたことがあったのですが、しかし実際にやっている人に出会おうとは思ってもみませんでした。なんとうちの下の部屋から夜中にアムロちゃんのうたがきこえてくるのです。歌詞までしっかりきこえます。はじめはなにごとかとびっくりしたのですが、夜中の12時すぎに「こゆびーがいたーいー」などと男の声がするとちょっとぞっとします。

うちも深夜族だし子供が夜泣きするので隣に迷惑かな、なんてちじこまっていたのに、なんと四時(!)までうたわれた日には、本当にあたまにきます。

おいっ、あたしにうるさいっていったやつ、これはうるさくないのか!!でてこい!ふたりとも!!からおけは夜にやるな!説教はしなきゃいけない人にちゃんとしたかたちでしろ!!

はー、すっきりした。

orukide diary

99/2/24

みなさまこんにちは。久しぶりのおるきでです。

じつはずーっと謝罪しなければと思っていたことがあります。以前この日記でロームのコマーシャルにマイケル・クライトンがでていてかっこいいと書いたのですが、あれは、ガセネタでした。俳優のジェフ・ゴールドブラムでございました。iMacのコマーシャルにもでていましたね。さんざんほらふきまくりで申し訳ございません。ぽりからロームのコマーシャルが流れるたびに、「あ、マイケル・クライトンだ!」といじめられていますので、もうかんべんしてください。

さて、最近の私とミニムーグのことをお話します。無事に九ヶ月を迎えたミニ。初節句のお祝の準備をすすめています。お雛様を買うのに大変さがしまわりました。

お雛様は皆様御存知のとおり、女の子の厄よけ人形で、嫁側の祖母がプレゼントするのが一般的です。わたしの時も祖母が七段飾りをくれたのですが、収納の問題で途中で手放してしまったため、どんなものであったかあまり覚えておりません

そして、今までお雛様についてあまりよく考えたことがなかったのですが、いざ購入する身となってよくよく考えてみると、あれって、ひょっとして結婚式を表現しているのですね。ポリにそのことを話すと、冷たく「なにいってんの?ばかじゃないの?」といわれました。ちぇっ。だって知らなかったんだもーん。

歌にもそんなことでてこないですよねえ?たんなる人形の集まりなのかと思っていました。となると、御人形を粗末に扱ってしまった私(というか、親なんですけど)なのに、よく無事結婚できたなあ。よかったよかった。

それで、ミニのお雛様ははじめは私が飾ったりしまったりせねばならぬので、決定権はわたしにある!と宣言し、(結婚式を表現していることも気がついていなかったので)ミニ雛がいい!といっていたのです。

でも、ポリは「大きくなったときに、なんでうちのおひなさまはこんなにちっちゃいの?といわれるのはいやだ」と反対してくれました。

そして、途中で結婚式のことだと気がついたら、ちょっと、お道具や従者がついていないと気の毒かな、とも思ったのですが、やっぱりスペースをとりすぎるし、同じ金額をだすなら、二人だけにして、豪華な着物をきさせるほうがいいとポリもいうので、親王飾りを買うということになりました。

というわけで、デパートにいったりいろんなお店をめぐってみてまわるうち、だんだん疲れてきて、どれにしていいかわからなくなり、もうどうでもいいや、というなげやりな気分になってしまいました。ひどいようですが、しかし、それほどさまざまなお顔とサイズと着物があり、知識がないわれわれとしては、困惑するばかりだったのです。

そうはいっても買わないわけにもいかないので、今度はカメラをもっていき、うちにかえって冷静にみくらべてみることにしました。そうすると、けっこう違いがはっきりわかるものです。

このように悩んだ末購入したのが例の御満悦があの写真にうつっているものです。みにくいけれど、朱の道具がついていて、他ではそれはみたことがなくて、なかなかきにいっています。せっかく目が肥えたのに、ひょっとしたらもうお雛様を買う機会はないのかもしれないと思うと、なんだかもったいないです。どなたか、購入するかたがいらっしゃったら、いいところを紹介しますよ!

ミニはついに10キロになってしまいました。母子手帳にのっている成長曲線からとびだしたりぎりぎりだったりしていたのですが、ついに米袋と同じになってしまった…。どおりで最近疲れるわけだ。

それにおとなしかったのに、自己主張をはじめてきてうるさいのです。なんか、となりで、ポリが「おまえの名前はさくらっていうんだ。さくらってよんだら返事をしろ!」とミニにしつこくいっていて、うるさい。

それに、やっとはいはいができるようになり、へんなものばかりさわってこまります。かいものにいってもきーきーいってはずかしいし、ぐったり疲れる毎日です。かわいいのだけれど、疲れます。

そしてひきつづき楽しんでいるのはミニのための買物です。本当にこまごま必要なものがあるので、しょっちゅうでかけてはかってしまいましゅ。気がつけば、お金がなくてびっくりです。

ミニは、さいきん、しょっ、しょっといっておるような気がしますが、そのうちママといってくれるのかしら…。

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98/9/17 「親子のオアシス、それは百貨店」

ミニムーグが生まれてはや四ヶ月。7.8キロにもなり、ムチムチ。今まではだっこで二人仲良くお散歩していたのですが、腰が痛くて最近さぼり気味。

しかし、子育てを経験した方というのはアカンボにすごく反応しますね。毎日必ずといっていいほど誰かから声をかけられます。

私一人のときは家族しか話をすることがなかったのに、ミニのおかげで急に社交的生活で楽しいです。とくにアドバイスをさりげなくしてもらえたりして、コミュニティってこういうことかな、と思います。人から人へ知恵がつたわっていくんだなって。そして、自分意外の人に愛情を注ぐということもミニからおそわりました。

でも、オルキデもちょっとおかんむりの事件もありました。通りすがりに『うわー、太とー』といいのこしていったんです。かわいいっていってくんなきゃそれは失礼なの!!あと、まだ1ー2ヶ月なので親は手をきっちり消毒しているというのに、見知らぬ人が勝手にミニの顔にべたべたさわったときは、ピリピリしました。身体はいいけど、顔はダメ!!

明日は検診で、初めて地元の同じ月齢の子たちに会えます。とっても楽しみ。お友達になりたいね、ミニ。

しかし場所がちょっと遠いので腰痛の私は悲しい。ベビーカーは段差があるところでは使えないのです。低月齢の子がのってもいいように安定しているかわりに重いA型ベビーカーだからミニをかかえながらベビーカーを運ぶなんて絶対不可能。よって、電車にのってどこかにいくのもすごく考えてしまいます。

つい、ポリが休みの日に車でつれてってもらいがち。おまけにミニはミルクをのまないので、わたしとはひとときもはなれていられません。だから私達の行動のベースとなるのは百貨店です。何かあったらすぐにベビールームに直行しておお助かりです。

もう百貨店なしでは生きていかれません。

ありがとう!百貨店!ばんざい!授乳室!!。

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98/4/14 妊婦になってわかったこと

今わたしは妊娠8ヵ月なのですが、このマタニティライフというものは体験しないとわからないことがたくさんあります。とにかく驚きの連続です。

まず初めから知らないことでした。たまたま生理不順のため体温でもはかってみようかなとデータをとっていたのですが、全然うまく測れていないらしく、正しい波形があらわれず、もうやめよっかな〜と思っていました。

ところが突如体温があがりっぱなしになり、3、4日続いたので、おかしいなあと旦那にみせたら、これは変だから調べてみなさいということになり、市販の検査薬で調べたら見事に妊娠判定がでていました。

それで病院にいってみたのですが、どうやら、発見がとってもはやすぎたらしく、先生は「確かに妊娠はしていますが、まあ、2週間後にまたきてください」というのです。

わたしは今何か月で、いつが予定日なのか等をすぐ教えてもらえるものだと思っていたので拍子抜けしました。

それでいくつか雑誌をよんでみてわかったのですが、妊娠判定というものは、最終月経開始日から数えて4週間以上たたないと病院では受け付けてもらえないところが多いそうなのです。それというのも受精卵というものはけっこう弱いものらしくて、ちゃんと子宮に正しく着床するまでは妊娠したと判定されないようなのです。

だから、この段階で悲しくも着床できなかったとしても、流産ということにはならないそうです。デリケートなんですね。

自分の母親が2児を普通に出産しているため、あんまり妊娠・出産について考えたことなどなかったし、興味もそんなにもっていなかったのですが、たまたまわたしはそれからすぐにホルモンのバランスのせいで子宮にこぶができてしまい、痛みがあって、病院でも「安静に!」といわれて1ヵ月くらい寝てすごしました。

しかし、無事に妊娠したと判定されました。

そして、いわゆるつわりの激しいという3ヵ月ころをゴロゴロしていたわけですが、テレビのように「ウッ」となることも、吐くこともいちどもありませんでした。まあ、食欲はもともとないほうでしたが、より少なくはなりましたけれど。

それより、何だか外にでる元気もないし、旦那以外の人とあわないし、すごくジメ〜〜〜〜っとした気分で、まともに家事ができなくてイライラしたり夜眠れなくて興奮して旦那を起こしたりと、情緒不安定に悩まされました。

旦那はけっこう優しくて、夜中に一緒に散歩にいってくれたり、ドライブにつれだしてくれたりしました。

そしてやっと起き出せるようになった時に、血が薄くなっているせいか、体力がおちているせいか、買い物していても、30分歩くと大体目に星がちらつきはじめ、耳の感覚もおかしくなりとても立っていられなくなるのです。そこでベンチがとてもありがたいものであることに初めて気がつきました。

わたしがいつも買い物をする田無西武と、その外の道路には、ベンチがたくさんあるのです。今まではベンチなんて、外にあるものは着ているものが汚れてしまうから座ろうなんて思ったこともないし、デパートにあるベンチはお父さんが待ちくたびれて座るものだと思っていたし、とにかくお年寄り用のものだと思っていたのです。

最近はろくでもない若者がたむろしていることが多いので、あんなものはなくてもいいのにとまで思っていました。でも、考えを改めました。やっぱり、ベンチは必要とされているものなのですね。自分が困って初めて気がつくというのは恥ずかしいことですが、でも、どれほど必要度が高いか、ということが感覚でわかりました。

そして、今まではまったく目につかなかったけれど、世の中には妊婦はけっこういるということも、自分が妊娠して初めて気がつきました。今までは全然気がつかなくて、一度も電車やバスで席を譲ったことがありませんでした。

妊娠してから、混んでいるところには恐ろしくて一人ででかけることはあまりできません。急いでいる人々は、けっこう平気で人にぶつかっていきますよね。あれではじきとばされたり、おなかに鞄があたったりして妊婦にとっては大変恐怖すべきことなのです。

働いている妊婦さんなんて、ラッシュ時間に電車にのるわけで、どうやって過ごしているのか大変心配されます。世の中のワーキング・妊婦、がんばって〜〜〜!そ

ういうわけで、マックワールドエキスポのときも、けっこう混雑していてこわかったです。

同じ理由で恐ろしいことがもう一つあります。テレビをみていると、よくお笑いの人たちの番組って、観客席にとびこんでいったり、ものをなげこんだりするではないですか。あれは、もし自分があの場にいたらと思うと本当に危険な行為だと思うわけです。外出できる元気な妊婦もいるわけですからね。こういうことを思うのも、やっぱり妊娠してからなんですよね〜。

勿論、自衛しているわけで、なるべく混雑しているところに一人でいかない!とか、旦那にガードしてもらうとか、すいている電車を待って、ちゃんと空いている席をゲットする!とか、一目で妊婦とわかるような格好で歩くなど気をつけていますが、でも、どうしても病院にいくときは一人でいかなくてはいけないし、都会も歩かなくてはならないわけで、そういうときは本当に神経をつかいます。

そうそう、よく妊婦妊婦した格好をするのはオシャレじゃないからイヤだ、という人がいますが、やっぱり、経験者だったらわかってくれるかもしれませんが、他人の目から妊婦と判定するのって、ほんとに妊娠後期のつきでたおなかの時しか判断できないだろうから(以前のわたしなんてまったく妊婦さんに気がつかなかったわけですからね)、元気でジョーブなことに自信のある人以外は、ちゃんと自分から意思表示することをお勧めします。

あとは、マタニティライフというのはやっぱり一人一人体調によりまったく違うものになる、ということを知りました。元気で逆にいつもより体調がいい人もいれば、急に体調がかわってしまうこともあるし、ず〜っと不調な人もいれば、でも、出産は問題なくいけることもあり、さまざまだから、自分のときと他人を比べて落ち込むのはよくないですね。

最近はおなかが前にでてきたので、ドウキがしたり、おなかが苦しいのですが、かなり元気です。花粉症なのに薬が飲めないのは苦しいですけれど。

そうだ!あかちゃんの顔の超音波写真をもらえて、初めて人間らしいお顔がみられて今とっても感激しています。

本当に自分の子供がおなかのなかにいるんだあ、という実感が得られました。毎晩写真をみては、フフフと笑って幸せな気分で眠ります。

とにかく、妊娠してから外出できないけれども、そのぶんいろいろ自分のまわりのことを考えるようになって、上記のことに気がついたりできたことは、旦那と結婚したからこそできたことで、旦那に感謝の気持ちでいっぱいです。

これから出産というおそろしいイベントが待ち構えているのですが、なんとか二人でのりこえられるかな?

ん?3人で、でした!

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98/4/5 中学校のときの先生

小学校の高学年5〜6年生のときの担任の先生は大変素敵な先生で、わたしのいいところをのばしてくれ、とても楽しい学校生活を送っていました。

しかし、その後の中学1年のときの担任M先生(若い女性)はものすごくイヤ〜〜な印象で、先生というものはこんなに差があるものなのかと、そのギャップにだいぶ戸惑いました。当時は子供だからわからなかったけれども、今反すうしてみると、だいぶひどい先生だったように思われてなりません。

まず一つめ。

ある生徒A君に授業中に消しゴムをなげつけた生徒がいたのですが、A君の背後から投げられたものであるため、犯人がわからず、先生は犯人さがしにのりだしたわけです。

わたしはA君より前に座っていたため、まったく興味がないというか、こんなことはやくおわって欲しいなあ、と思っていたのです。しかし、M先生はヒステリックでこわかったためまじめに先生のいうとおりにしなければ!と緊張していました。

さて先生はまず、全員に目を閉じるように命じました。目をとじるとなんだかまわりのことがわからなくなり、不安なものです。そして、「正直にやったものは手をあげろ!」という声がしました。勿論わたしは潔白ですからじっとしています。

そして、しばらくして、「はい、手をあげろ!」と聞こえました。

え?手をあげる?目をあけろっていったのかなあ?よくわからないなあ。

そして、どっちだかわからないけれど、そろ〜〜っと目をあけたところ、なんと先生と目があってしまい、妙にびびったわたしは、(うわっ、目をあけろじゃなくて、手をあげろだったらしい!!おこられるっ)と脅迫観念のためすぐに目を閉じ、そして片手をあげたのです。

そうすると、妙な沈黙の後、先生がなんと、「もう一度目を閉じて!」というではないですか…。

ええ〜〜〜〜〜、どうなってんの?ともはやパニックのわたしです。

そして、もう一度先生は「やった者は手をあげろ。」といいました。わたしはもうドキドキしながらも、手はあげませんでした

そして、「目をあけていい。」という声とともに、わたしは目をあけました。

これで終わったか、と思ったそのとき、先生はいきなり皆の前で、わたしの名前を呼びました。ひえええっ!!!

「なんでおまえはさっき手をあげたんだ!!」

「えっ、先生が手をあげろっていったから…」

と答えると、先生はなんだかよくわからないけれど、それ以上何もいわずにそのまま解散となりました。

終わった途端、となりの男の子に、「ねえ、さっき、手あげろってきこえなかった?」というと、「うん、俺もどっちかなあってすごく悩んだよ!!」といってくれました。

わたしの行動も変だったかもしれないけれど、先生の言葉つかいからもわかっていただけるかもしれませんが、若い女性なのにものすごく恐ろしい人だったのでみんな心を開けなかったのです。そこのところは理解していただきたいです。とにかく、みんなの前でああいうふうにいうというのは結構ひどいことだと思います。

二つめ。

ほかにもいろいろと先生は怒りだしたら陰険にねちねち一人を皆の前で怒るので、生徒の心は離れていたのです。そしてわたしは親にも先生は怖いと訴えていました。

そしたら、母親参観の後に先生と親たちの集まりがあって、そのときにうちの母親は先生に「先生はこわい」だか「生徒の話をちゃんと聞いてやって欲しい」だかなんだかといったらしいのです。

わたしは母親がそんなことをいったなどとはまったく知らなかったのです。

翌日からわたしはものすごいいじめを受けました。授業中に「おまえ、母親に先生は生徒の話をきいて欲しいといったんだってな!!」とかいうのです。確かに覚えがあるので、はいと答えると生意気なんだとかまたネチネチ怒りはじめました。

そこへあいていたドアから何故かがはいってきてしまいました

ちょうどドアに一番近い席に座っていたのでわたしはどうしようかと悩んだのですが、先生にいおうにも彼女はわたしを相手にまだなんかいっているので困っていたら、ようやく彼女も犬に気付き、またまたそれをネタに「おまえは知っていながら何故いわないんだ!!」とますます怒るのです。

もうたまらん、とおもって、多分翌日からわたしは学校にいきたくない、と親にいいました。そうしたら母親があわてて先生に電話して話し合ったのです。

その数日後、わたしは先生に呼ばれました。

先生は「おまえは母親に、先生に注意してくれといったんじゃなかったのか」というので、「いいえ、別にそんなことはいっていません。」と答えたら、

「そういうつもりじゃないのなら、そんなことを親にいうな。わたしはおまえが親にいわせたのかと思った。この前はな〜んかキョトンとしたかおしてるな、とは思ったけど。」といいました。

その日以来先生はけっこう優しくなったので、わたしは単純なのでもう忘れてしまっていたのですが、ある日先生はわたしを呼んで、何かわたしました。「なんですか?」と聞くと、おわびだといいました。わたしはなんだかわからないけれど、ものをもらったのでお礼をいって帰りました。

なかをみると1万円分くらいある図書券でした

わたしは本好きだったのでものすごく喜んで、母親にみせました。母親はよかったね、ぐらいはいったかもしれませんが、べつだんわたしに何もいいませんでした。

しかし、いま考えるとこれは先生は大変なことをしたのだということがわかりました。どんくさいわたしが悪いといえば悪いのですが、要は買収行為ですよね。

何故母親はすぐかえすようにいわなかったのでしょう!!いまならこんなもんで許されると思うのかとつきかえすところなのに、本当に悔しいです。

ほかにもいろいろありましたが、わたしも大学では教職をとってまじめに勉強した結果、やはりあの先生はどうして先生になれたのかわからないひどい人間だったと思います。

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98/3/29 わたしの先生

最近少年事件が多発していますが、自分の学校生活は、どうだったか、ふりかえってみました。学校生活といえば、友達と、先生と、勉強と、遊びにだけ囲まれていたように思われます。

わたしは父の仕事の都合で転校することが多かったため、幼馴染みはいないし、教科書もまったくバラバラでけっこう苦労がおおかったけれども、友達にも恵まれ、だいじな時期にいい先生にあたり、勉強も大好きなまじめな子供でした。

いわゆる優等生でしたねえ。(でも、スポーツは大の苦手でした!!)

今日は印象的な先生について書いてみます。

小学校5〜6年生のときの担任K先生はとてもいい先生でした。

レクリエーションに力をいれていて、ギターをいつも弾いて、いろんな歌をみんなで歌いました。放課後も一緒にドッジボールやサッカーをしてくれたし、委員活動などで遅くまで頑張ったときはジュースやアイスでねぎらってくれたこともありました。

とにかく何をするにもちょっと他とは違うやりかたですすめてくれるので、わたしは先生のそばにばっかりひっついていたように思います。科学雑誌のニュートンを教室においておいてくれたのも先生で、本当に刺激的な毎日でした。

あるとき社会の授業で綿花ということばがでてきたら、本物の綿花をもってきて、しかもみんなにさわらせてくれました。花はボロボロになったけれど、先生は満足そうでした。

宿題のだしかたもユニークなものでした。計画学習帳というノートをつくり、今日は32分何か勉強してきなさい、きょうは24分本を読んできなさい、というふうに何でもありありだったと思います。それに、宿題にNHKのウルトラアイという科学的実験番組をみて感想をかいてくること、というものもありました。宿題でテレビをみてくることなんて今までなかったことで、とてもおもしろかったです。

しかし生意気だったわたしは、先生に、「先生、勉強するのに13分とかはかってやるなんて、気が散って集中できないよ〜!」とケチをつけたことがありましたが、先生は笑って「そうだね」というけれど、そのシステムはけっこう長く続けられました。

それからわたしの記憶に鮮明に残る思いでがひとつあります。

それは社会科見学でスバルの工場を見学にいったときのことです。わたしは学級委員だったのでみなは背の順にならんで見学していたけれど、わたしは先生のすぐ後ろでみんなを引率しつつラインをながめていました。順調にすすんでいたのですが、わたしは興味をもつとわれを忘れて熱中してしまう人間だったため、そこでも知らないうちに夢中になり、気がついたら一つ前のクラスの列に突入していました。慌てて先生のところに戻ったら、一番前の友達に、「あっちゃんったら声かけたけどドンドン勝手に前にいっちゃうんだもん…」といわれました。

恥ずかしけれど先生の顔をみると、ちょっとたしなめるように笑ってうんうんとその子の言葉にうなずいたものの、何もいいませんでした。

こういう先生だったのです。

このようにいい先生に恵まれ、幸福な時代をすごしたわたしでした。

わたしの母親という人がまた、人を疑うことを知らない、明るく天真爛漫な人で、この人に育てられたわたしはもともとの資質もあって、ドンクサイ人間に育っていたわけです。

そして自分のアクションにより、他人は何らかの反応をするのだということを知らずにほくほくわがまま放題に育ったわたしは中学校でいたいめにあうことになるのです。

そして、そのあまりのカルチャーショックに、逆に人から自分がどうみえるかということを異常に気にする人間に変貌することになりました。そして大学2年生になるくらいまでそれをひきずることになりました。

次は中学の恐ろしい先生について書きたいと思います。

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98/3/21 道を尋ねる相手

先日の横浜で不思議なことに遭遇しました。

旦那とめったにいかない横浜でいよいよアクアラインにむかおうと一般道路を走っていたそのとき、旦那が「何か、隣の車が叫んでいるよ!!!」というではないですか。

何かと思って右側をみたら、確かに右隣の車の後部座席の窓からオバアチャマが身をのりだして「スミマセーーーン!!」と叫んでいるのです。走行中ですので一瞬でその車は後ろに消えてしまいました。

何だったんだろうと旦那と顔をみあわせつつも、信号まちをしていると、今度はさきほどの車が左側にきて、やっぱりわたしたちの車に近寄ってくるのです。

今度は私側だったので、じっとみつめると、運転席の窓をあけて、オジイチャマが、「すみませ〜ん!高速の入り口はドコですか?」と叫ぶのです。

勿論私は知りませんし、旦那も知らないというので、「わかりませ〜ん」と叫びかえしたら、がっかりして消えていきました。

車をよくみてみると、マークのついた新品の白いワゴンRでした。しかも、春日部ナンバー。初の遠出といった雰囲気なのです。

初心者なら無理するな〜!地図を携帯しろ〜!走りながら声をかけず止まって歩行者にでも尋ねろ〜!と思いました。

我々が多摩ナンバーだったので声をかけたのかもしれませんが、ずいぶん無茶するひとたちだなあ、と思いました。

それで考えてみたところ、どうも我々は独身時代からそれぞれ道を尋ねられることが多かったのです。二人ともかなり童顔でこわくないというのがその理由なのかもしれません。

しかし、旦那は地図をみるのが趣味であるほど道に詳しいからいいようなものの、わたしはまったくの方向音痴なので、あまり声をかけていただきたくないのです。

まあ、学生時代は、大体通学途中で声をかけられるので、けっこう詳しく教えてあげられたりしましたが、最近は変な場所をきかれるのでまったく答えられません。結婚してから土地がかわったので余計です。

<お願いだから、わたしには声をかけないで〜〜!>

と心の中で叫ぶのですが、いっつもつかまってしまう私です。

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98/3/17 今解き明かされるオルキデの謎

何語なのか、どういうつづりなのか、いったい何の意味なのか、まったく謎だった「オルキデ」ですが、今回つづりが判明いたしました。

Orchidee」で、蘭の花の意味でした。でも、何語なのかまでは、まだわかっていません。イタリア語?ではないか、とふんでいます。

しかし、この言葉をみつけた当初は単にカタカナしかわからなかったので、ギリシャ語で、神話のなかにでもでてくる名前なのかなあ、なんて想像していたのが、(メールの名前に使用する際、必要上勝手にアルファベット表記にしてみたときに、「ひょっとしてオーキッド」のもじりかな?なんて思ったものでしたが、)こうして何年もたってから意味が判明してちょっと感動しています

でも、ちょっと寂しくもあったりして、複雑です。なにせ、4年くらいつきあってきた名前なので。もうそろそろゴールにたどり着けそうです。

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98/3/12 ヨゾラノムコウ

毎年恒例!横浜大倉山の夜の梅の香をかぎにいきました!

一昨年はまだはやくて、去年はもうすっかり散ってしまっていたのですが、今年はまだ残っていてとてもいい香りで幸せいっぱいの気分を満喫できました。

旦那は突如、新しくできた道路にまだいっていない悔しさを思い出したようで、「これから木更津にいこう!」といいだして、それがどの辺りなのか知らないわたしは「行こう行こう!」とノッテしまい、大変なことになってしまいました。

まずは中華街へつっこんで、肉マンさがし!夜なので車でもへ〜きへ〜き。かなりホットでおいしかった肉まんを気に入った私たちはおみやげまでゲット。

それから高速にのってベイブリッジの休憩所へ。横浜って、本当に風がつよいところですね。そしてものすごい横風を感じながら海底トンネルアクアラインへむかいました。

できた当初はものすごく混んでいたらしいのですが、時間も遅かったせいかまったく一台も車がなくてビックリしました。そして海底50メートルと書いてあって「おお〜〜!」と興奮しました。窓をあけるととてもいい空気(何故か排気ガスのにおいはしませんでした)で、潮の香りがしました。

そしてついに噂の海ほたるへ!しかし、ものすごい風のため、わたしはおなかの赤ちゃんともどもとばされそうになり、旦那だけが海をみにいきました。本当にこわかったです。多分このあたりで日付がかわっていたと思います。昼間の景色も奇麗でしょうが、夜、遠くに明りをみるのも楽しいものです。

それから木更津について、今度は千葉をぐるっとまわって東京に帰ります。

その道が全然ライトがなくて、本当に高速なの?と不思議に思うくらい暗い道のりで、なんだかものすごい所にきてしまったような孤独な気分になってしまいました。とにかく車が一台も通らないから、もし一人で車にのっていたらものすごく怖かったと思います。

そうしてだんだん工場がみえて、都会へと戻り、首都高速にのったときには「あ〜、東京にかえってきた〜〜!」と感動を覚えました。多分夫婦二人での遠出はこれで最後になるだろうということで、いい記念になりました。

そして家についたのは2時すぎでした。お疲れさま!!

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98/3/1 ベンジャミン伊東について

彼についてのいっっちばん古い記憶は、子供の頃日曜日にやっていたテレビで藤田弓子とコントをやっていたことです。

その時は伊東四朗という人はなんだかおもしろいおじさんだなあ、というぐらいにしか思っていなかったわけです。

小学生ぐらいなのでそれ以上のことは考えなかったのですが、だんだん大人になってくるにつれ、「まてよ、子供の頃から見慣れているので見過ごしていたけれど、なんか、このおやじの顔はこわいぞ!」と思ったわけです。

そして、わたしはいまだによく知らないけれど、てんぷくトリオというものの一員であったらしいこと、そしてベンジャミン伊東という名前でも活躍していたらしいことが明らかになってきたのです。

ベンジャミン伊東!!この名前を聞いたときものすごい衝撃を受けました。ものすごく彼に似合った名前ですよね。なんだか恐ろしげな感じがします。ベンジャミンという名前はそれほど固定観念のないものであるにもかかわらず、「ベンジャミン伊東」となった瞬間すごくパワーをもってしまっていると思いませんか?

しかし、最近の彼はなんだかその名前にふさわしい活躍をしているとは思えないのが残念であります。今までわたしがかいかぶっていたのでしょうか?

いやいや、そうだったとしてもやはり彼にはもっと恐ろしいイメージ孤高の道を歩んでいただきたいと切に願うものであります。

(poly注:伊東四朗さんは現在、ベンジャミン伊東として活動されておりません)

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98/2/27 Orukideの謎

わ〜い!!わたしの日記が話題にのぼってる〜〜!!

( ^o^)/C□☆チーン□D\(^-^ )カンハ゜ーイ

この度、知らないうちに旦那がオルキデ日記を全面プッシュしてくれたらしく、いろいろなかたに読んでいただけてとっても嬉しいわたしです。るん!

そして旦那はいつもなら自分ひとりでインターネットを楽しんでいるくせに、「見な見な、君の日記のことがみんなのページに掲載されているよ!」といろんなページ(こちらこちらこちらそしてこちら)をみせてくれたのです。わたしのところにもメールがきたりと、急に楽しい環境になってきました。皆様ありがとうございます

反響があるということはこんなに嬉しいことだったのね〜〜!と、今まで自分ばっかり楽しんでいた旦那がちょっとズルく感じられました

今日は今までの日記に書いたことで最近わかったことを書こうと思います。

まずはビビアン・スーのことですが、彼女の年齢を知りたかったのですが、先日「みなさんのおかげです」をみていたら23才だということが発覚しました。

それから城島君のコマーシャルは結局あの後一度もみかけることができませんでした。よっぽど縁がないのかしらと悲しい気持ちです。

そして最後に皆様からオルキデとは一体なんぞやという問いかけがあるのですが、わたしにもわからないのです

もとをただせば西武新宿線にのっていたときサギノミヤという駅にある看板に「喫茶オルキデ」という文字をみつけたのでございます。初めは、(へんな名前。わたしだったら自分の店にそんな名前つけないなあ)と思っていたのですが、だんだんなんだか気になってしょうがなくなってきたのです。これは調べるしかないと思ったときは既に遅く、看板はなくなり、104にきいても「そんな届けはない」といわれてしまったのです。ああ、オルキデという言葉にどのような意味があるのか知りたい!!

なので、それ以来自分のハンドルネームとして使うことにしました。そうすれば、知っている誰かが反応してくれるかもしれない、と思ったのですが、いままで誰も知っている人はいませんでした。ひょっとして、単にオーキッドを文字っただけなのかなあ、と不安になっているわたしであります。

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98/2/24 Orukide日記 in MacWorldEXPO'98

旦那が「今年で最後かもしれないから是非いきたい」というから、私は興味がないけれど一緒にいかないと寂しいので幕張までおでかけした。旦那の友人もMacintoshユーザーじぁないくせに一緒だった

入場料が2000円と聞き、わたしは驚いたが、友人もそんなに払うつもりはないらしく、もともと職業はカメラマンなのでその方面で入ることに決めたようだった。我ら夫婦はちゃんと(?)お金を払ってはいった。

ついて早々わたしは妊婦のためだるくなりすこし休んだ。そして1時に握手会があるからと旦那はそわそわしだして、わたしもよくなったので約束の場所にいったけれど、どうやら場所変更があったらしく、それに気がついたときはすでに15分くらい経過していたのでお仲間を発見することはできなかった

そしてなんとなくブラブラし、ポストペットのくまちゃんの大きな着ぐるみを発見!それをわたしがながめているあいだに、旦那はディープな店めぐりにでかけたようだった。

tktrさんの日記でお読みになった一部のかたはご存じかと思うが、わたしはゲーム以外でこのMacintoshをさわったことがなかったのだ。そのうちメールをやりとりすることができると知り、ニフティのやりかただけならって多少さわることができるようになったが、この日記も旦那にメールでおくって、文字を大きくしたりタイトルつけたりなどの作業は一切おまかせなのだ。

インターネットもtktrさんがおもしろいし簡単だからやってみろと勧めてくださったので頑張ってちょっとはできるけれど、あとは全然なにがなんだかわからないまったくの初心者なのだ。

さて、ひととおりめぐったあと、なんだか2400とかいうものの撮影会なる場所にたどりついた。わらわら機械をおきだす人々をみてわたしは恐ろしくなったが、旦那はその機械をもっていないことが大層悔しいらしかった。そしてばしばしカメラにその様子をうつしていた。

混雑ぶりに身の危険を感じた私はさがってみていたが、そのとき「ひょっとして…」と声をかけてくる人がいた。なんとその人こそ旦那の握手相手であるsatoさんであった。そのあとは名刺交換と挨拶がひとしきり続いたけれども、残念ながらわたしはほとんどホームページもみたことがなく、たまに旦那が口にする人の名前だけはわかるけれども、どういう人なのかはわからないため、もじもじぶりを発揮してしまった。ごめんなさい!

そして次のイベントがあるとかで皆さーーっと風のようにいなくなってしまい、びっくりした。わたしたちもでかけたが、途中でおちあった友人はいつのまにかそのイベントの最前列に陣取り、音が小さくて聞こえないだのなんだのケチをつけていて驚いた。リモコンで走る台車にのったMacintoshをみて喜ぶ大人たちの顔をわたしはじっとみつめて(楽しそうだなあ)と思った。

そろそろ飽きてきたわたしはもう帰りたくなり、4番出口の階段をのぼって上から会場をながめていた。そうしたらあるブースでじゃんけんをしている佐藤さんをみつけた。

旦那とさんざん手をふったけれども気がつかないようだったので、旦那は挨拶をしてくるといっておりていったが何故か挨拶するまえに違うブースに心ひかれたらしく、ふらふらとすいこまれていったのでわたしはぼーっとオリンパスをみていた。そこのバッジが欲しいといったら友人がもらいにいってくれたので、そのやりとりをながめていたのだ。そのうち佐藤さんのことも忘れていた頃、急におおきな声で

「おくさーーーん!!」

と下で叫ぶ声がしたので驚いてその方向をみると、佐藤さんがわたしにむかってにこにこ手をふっていた。なのでわたしも手をふりかえしたが、大変びっくりした。何故おくさんと呼ばれて自分のことだとわかったのか、わたしにもわからないのであった。多分この一件がエキスポにおける一番の思い出としてわたしの心に残るだろう。

tktrさんがこられなかったことが残念であった。

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98/2/19 ドラッグジャンキー

わたしは大学生の頃からドラッグストアが大好きです。

日常使用する雑貨をいろいろなお店で値段を調べて一番安い店でゲットしたときには何ともしれない満足感を感じます。

大体西武新宿線の野方か、上石神井、あとは吉祥寺にいきます。

最近は野方にはいかなくなってしまいましたが、ティッシュはここが一番安かったです。吉祥寺にはお店がたくさんあるし、大抵のものは揃っています。しかし、ティッシュとトイレットペーパーはここにはありません。なので上石神井か、新宿の大型アウトレット店にいきます。

このアウトレット店がまた楽しいところでいくと必ずお得な何かをみつけることができます。(注意!必要のないものは購入してはいけません!)

こういったお店の中にいるときや、店のあいだをいったりきたりしているときの自分の顔は多分真剣そのものなんだろうなと思います。何故って今日は必ず買い物をすると決めている日はどの店で何がいくらだったか覚えていなくてはいけないからです。お店のなかで値段をノートにかきこむとやっぱりかっこ悪いですからね…。

この一連の作業はかなり労力がいるので(それにかなり重い!!)そうしょっちゅうはできるものではありません。だからこそ元気なときにまとめ買いしておくことが重要なのです。

うちの旦那はそこがわかっていなくて、同じものを何個も買うわたしに、「そんなにいっぱい買わなくてもまた来ればいいじゃん。」とぬかしますが、じゃあまた2〜3日したらつれてってくれるかといえばそんなことはないのです。緊急に必要なものは定価であっても近いところで手にいれます。

わたしは趣味でやっているので調査作業が楽しくてそれだけで満足ではあるのですが、たまには自分の成果を旦那にみせびらかしたくなる時があります。

でも、話をきいてくれはするけれど、「ふうん、よかったねえ。」といってくれはするけれど、(あんた、心から感心してはいないでしょう)といつも感じます。

百円単位の節約であっても、それを重ねることにより旦那のコンピュータ用品を快く買ってあげる気分になることができるのだということがヤツはわかっちゃいないらしいのだ。まったく。

話はかわりますが、この日記を書いていても、恥ずかしながら一回も反応のメールをいただいたことがなかったので、ひょっとして誰も読んでくれていないのではないか、つまらないことしか書いていないのではないか、とかなり心配していたのです。が、先日初めて「読んだよ」レターをいただき、本当に感激しました。特別な感想とかは書いてなかったのですが、読んでくれている人がいることに喜びを感じました。ありがとうございます

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98/1/28 CM再び

以前、気にいっているCMをいくつか書いたのですが、大事なものを忘れていました。

それは、ロームのCM!!

マイケル・クライトンが古代遺跡の前で何やら講義してくれているのですが、

Now,you see the future is in this LSI. The future is on LSI. Rohm.

と最後にチップを左手に掲げつつ我々に諭します。

まず、特に彼のファンでも何でもなかった私が、それが彼だとわかったのは不思議なところなのですが、まあ、それだけ彼は有名だということでしょうか。

映画も、ドライブインシアターでみてみたい!と当時恋人であった現旦那にねだってつれていってもらったときやっていたのがたまたまそうであったためにみたにすぎなかった、ジュラシック・パークしかみたことがありません。(しかし、このゲームには熱中しましたが…)

それに、大人気ドラマ[ER]も彼の原作だとは知りませんでしたし。

ですが、このCMにでてくる彼ってばとっても私ごのみなんです。そこいらの俳優よりとってもクールで素敵です。体格もすっきりしてるし、チップをもつ手の肉感もちょうどいいし、何よりしゃべりかたが「チョーまねしたくなる感じー」なのですonと、Rohm.の発音なんて、もうたまりません

SONYのMDのCMにでているジャミロクァイのジェイケイの声が好きだったのと、CM中にとびはねるちっちゃい彼を気にいって、旦那に、

「もし私が未亡人になったら、ジャミロと結婚するからね。」

といったことがあるのですが、(悔しいことに旦那は全然とりあってくれなかった!!)マイケル・クライトンでもいいなあ、なんて妄想の日々です。でも佐藤浩市も好き。

全然関係ないのですが、ジャミロクァイとナイナイの岡村くんは似ているから、岡村くんは真似すべきだと進言したいのですが、でも岡村くんとは結婚したくありません。

さてさて、以前に書いた城島くんの王子様姿がまたみられるようになりました!!

1/27の23:37頃、ナイナイナをみていた時に発見したのですが、FUJIYAMA2のCMが復活したのです。しかも、ニューバージョンも!!

ニューバージョンは、王子様がベッドからぬけだして、勝手に一人で乗りにいって侍従をなげかせるという内容です。(旧作では二人で乗りにいっていた。) 

以前ビデオをとりそこねたので、今回は絶対にゲットします!

それから、ジュラシック・パークのアーケードゲームについて。

現在ゲームセンターにおいてあるロスト・ワールドのゲームも勿論おもしろいのですが、何せお金がかかる!わたしはジュラシック・パークのときのほうが断然はまりました!!

もともとはゲーセンで二人で遊べるものを探していて、シューティングゲームで、一人が運転しながら撃ち、もう一人は撃つことに専念できるものがあり、そのゲームをみつけては旦那と遊んでいたのですが、そのうちジュラシック・パークが出現し、怖いのとゆれるのとにはまったわたしは多分1万円以上費やして遊びまくりました

最後には旦那は飽きて嫌がるようになってしまったのですが、うまくなると、二人で500円くらいでクリアできるようになりました。当時はあのゲーム機械が欲しくてたまりませんでしたが、一体いくらくらいするのでしょうか

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98/1/17 キムチの似合うイイ男?

最近大雪に見舞われて外出できずにいます。

さてさて、tktrさんのトビトビ日記を読んでいて注目するものがありました。それは、水野さんのキムチ!!

辛いものは大の苦手で、カレーもバーモントの甘口でないと食べられないわたしですが、東京飯店という焼き肉屋さんで食べたキムチがおいしかったのが忘れられず、とても気になってしまったのです。とはいうものの、東京飯店では店員さんにかくれてキムチを水におよがせて(シャブシャブのよう!!)食べたのですけれど!

それで早速ビビンパと白菜キムチを注文してみたところ、速攻で届けてくださり、しかもとても美味でした!振込用紙もなんにも記入せずによいように準備してくださり、とても気配りの行き届いた対応でした。優良サービスの見本だと思います

さてさて、前におきにいりのCMについて書きましたが、書き忘れていたものがありました。それはサントリー10年リザーブだったかしら?佐藤浩市です!

オンガクは「ブラジル」と言う曲で、歌もつくバージョンもあるのですが、わたしは歌なしが好きです。去年からシリーズになっているのですが、今のはゴリラのポスターがうつって、それがまたよいのです。

前から佐藤浩市は好きだったのですが、このコマーシャルはとても彼のいい雰囲気をつかんでいると思います。

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98/1/9 新年明けましておめでとうございます。

皆様どのように新しい年を迎えられたのでしょうか? わたくしどもは毎年新年は築地本願寺で迎えることにしています。 もう5年くらいになるでしょうか。 しかし今年はちょっとでかけるのが遅かったためにもう鐘をつきおえて 閑散としていました。 いつもそれほど混雑してはいないのですが、今年はとくになんだか 寂しい感じでした。 それでもめげずにライオンのような駒いぬもどきの前で写真をとり、 家族の健康をお祈りして参りました。

別に本願寺に帰依しているわけでもなんでもなく、 ただ建物自体がとてもインド風でシャレていて気にいっているので、 ここにきます。つくった人は伊藤忠太という人で、有名なかたです。 梅の時期は大倉山記念館のそばにある梅園に いって夜の梅の香りを楽しむことにしています。

そうそう、今日はとても楽しみにしていたテレビ番組が放送されました。 その名も「ホワイティーのウリナリ」!! わたしはホワイティーをこよなく愛しているので12/28の武道館ライブ にいきたくてたまりませんでした。

それからビビアン・スーがかわいくて大好きなので、ブラビが前座だといいな〜、 と思っていたのですが、どうやらポケビになったようです。チエッ。 ビビアンについての一番古い記憶は、「スーの国の…」とかなんとかいいながら ラーメンのコマーシャルにでていたことです。 そのときはなんとも思わなかったけれど、最近とってもかわいいなと思います。 彼女はいったいいくつになったのでしょうか? この先彼女が成功するのか、なんだか心配になってしまいます。 がんばれ〜〜!(^^)/~

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97/12/25 メリ〜クリスマス!!

今日は昨日から再放送しているNHK1CH ビバリ〜ヒルズ高校白書について。

現在通常放送しているのは次のシリーズである青春白書なのですが、わたしは高校白書のほうが好きでした。

それというのも、主人公の双子の妹である、ブレンダがとってもかわいかったからです。お話も、さわやかでとてもおもしろかったのです。ブレンダと彼のディランは仲がよくて羨ましかったものでした。

しかし、終わり頃になると、なんだかドロドロしてつまらなくなってきました。しかも、青春白書のほうではブレンダがでてこないのです!何故!?わたしはとても憤っています。きっとわたしと同じ気持ちの人はいっぱいいると思います。

そのうえ、高校白書の放送当時は放送時間が必ずずれるし、なにか事件でもおきようものなら、他の番組は放送しても、高校白書が必ず中止されるのです!!そうならそうと、はやい時間にテロップでもながしてくれればいいのに、深夜の予定放送時間をすぎてから中止とでたりするのです。わたしは本当に頭にきて、NHKの料金を払うのをやめようかとまで思ったくらいです。

最近楽しみにしているテレビ番組は少ないものの、せんじつの日記にもかきました吸血姫美夕と、青春白書と、鉄腕DASHというTOKIOの番組は必ずみています。

TOKIOといえば、城島くんがおもしろいのですが、彼は絶対としをごまかしていると思います。何故かといえば、知っている歌がなんだかとても古いし、話題も微妙にずれていれるのです。とても同世代とは思えません。

しかし、わたしはCM好きなのですが、少し前に放送していた富士急ハイランドのFUJIYAMA2の城島君の王子様の姿がとても気に入っていました。

そして、今一番のお気に入りは、タイガーの電気ポットのCMです!!

嫁姑の二人の会話なのですが、はじめは嫁である古手川ゆうこが、「大きいばかりでやくたたず!」というのが好きだったのですが、今は姑の「ま〜たお湯ぎれ!!」という激しい言葉が大変気にいっています。

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97/12/22 今日は冬至でした

かぼちゃをたき、柚湯をわかして今そのいい香りを楽しんでまいりました。

今日は、火曜日午前1:15、12CHで放送している、「吸血姫美夕」について書きます。何故かとても気になるアニメなのです。

ずいぶんとまえにオリジナルビデオをレンタル屋さんでみかけたことがあり、名前は知っていたものの、ホラーものは苦手なので、素通りしていたのですが、最近深夜暇なときにみたら、はまってしまいました。

この美夕というひとは絶対笑わないのです。

初回からみたわけではないので設定がいまひとつわからないのです。片目がものすごく恐ろしいウサギと、ラヴァという仮面をかぶった美青年と一緒にいます。それから、味方か敵かわからないしゃべる人形を抱いたレイハという女の子もいます。

美夕は着物姿だし、髪形もかわっているし、すごく大きなリボンを腰にまいています。とっても時代錯誤でへんな感じがします。

わたしも、何故こんなに気にいっているのかわからないのですが、でもこの日になるととてもワクワクしてしまいます。

それに、エンディングの歌がとてもイイカンジです。つい歌いたくなります。キラビヤカな感じがします。

どなたか詳しい話をご存じのかたは、是非とも教えてください。

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97/12/17 マタニティウエアについて

いまとても悩んでいることはマタニティウエアに何を買うか、ということです。

どんどん体のサイズが変化するので一体どのくらいのサイズに決定すればいいのやら、見当もつきません。

しかし、いわゆるマタニティ専門店にいくと、悲しいくらい地味なものが多いですねえ。しかも高い!ブランドのものは反対に、ルンルン幸せブリブリ奥様っていう感じのものが多いうえにバカ高い!!!デニムのジャンパースカートが2万円って、どういうことなのだろう?と思ってしまいます。

コムサデモードのものはモノクロらしいのですが、どこで手に入るのでしょうか?普通のショップにいけばいいのでしょうか?

どなたか不要になったものがあれば、お安く譲っていただけるとありがたいです。それから、こういうものは必要だけど、これは絶対いらないよ!などアドバイスしてくださると嬉しいです。

ちなみにわたしのサイズは5ヵ月現在で156cm,43kgです。

普段は7号サイズを着ます。

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97/12/1 お歳暮について

みなさまはオセイボに何をおくってみたいですか。

わたくしは荻窪にある八百屋さんで(とってもおいしい!!!)夏は好きなものつめあわせをつくってもらいました。好評につき、冬もそこでおくります。りんごがとってもイケルそうなのです。

しかし、ほかにも心ひかれる贈り物があります。

1、丹波黒豆いりおかき

2、ヨックモックのラングドシャ(チョコ)

3、ウエッジウッドのアールグレイティー

4、ショコラティエ エリカ(白金台)のレーズンいりホワイトチョコ

5、一保堂茶舗(新宿小田急)のお茶

あとは牛肉とか、梅干とか、そういった普段かわない高級品でしょうか。なんといっても贈る相手がたいてい年配のかたというのと、ご家族構成などにより悩み深くなってしまいます。甘いものだとお身体にさわるのではないか、とか…。

しかし、きっとたくさんの人からもらうのだろうから、わたしが贈るものくらいはお歳暮らしくなくても許してもらえるのではないだろうか、と思うのです。この先いつか相手の心をつかむモノが届くといいなあと思うのであります。

お菓子のことですが、贈り物とは別に、おすすめのものがあります。

有名ですが、舟和の芋羊かん!はおいしいですねえ。甘くなくて。吉祥寺ロンロンと新宿伊勢丹にはいっています。

あと、上板橋にある石田屋の栗饅頭はおいしいのですが、はやい時間にいかないとないかもしれません。

そして、常盤台にある小川屋は塩大福が絶品です。

これらは保存がきかないので贈り物にはむきませんね

最後に今年は実用的なものがはやっているそうですが、わたしがいただく立場ならば、せっかくもってきていただいたものが油とか洗剤だったらちょっと寂しいなあ、と思うのであります。

皆様はいかがなものでしょうか?

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97/11/25 きょうはバートバカラッチュのらいぶを観に行った

きのうニュースステーションで容貌を確認済みだったけれどTVと同じジーンズで来るのか、とドキドキしていましたが白いスーツで現れたので拍手してしまいました(^o^)

券をとった時から「前から3列めダー!」と思ってかなり楽しみにしていました。

一番うれしかったのは"Wives & Lovers"(思い出の曲なのです。)をやってくれた上に自身で歌ってくれたことです。ノリノリでした。

悲しかったのは"Make it easy on yourself"を本人が歌ってくれなかったことです(T_T)

しかし最後は憧れていたスタンディングオベイション(立ち上り拍手喝采)ができ、そのことでバカラッチュ氏も上機嫌になり2度目のアンコールに応えてくれたようで感激も「さらに倍!」(巨泉風に)

26日も追加公演があるので、26日に行く人は必ず「雨に濡れても」を歌えるようにしていきましょう。

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